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发表于 2008-2-22 12:44:35
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调查结果汇报
昨日回家,将所藏有关大和号的所有文献资料翻出,重新核对了一番,发现没有关于大和号击中冈比亚湾号的记载。于是,今天再次上网重新搜寻,找到几篇文献:
《大和战列舰史》
10月25日晨06:45,在萨沃岛附近,以夜间搜索队形前进的栗田第2舰队终于看见了美舰的桅杆,同时还发现了美国舰载机。栗田判断所遭遇的美舰属于哈尔西舰队,而实际在他面前的不过是以护航航母为主的美第77特混编队第4特混大队第3特混小队。由于担心重整队形会给美国航母上的飞机提供起飞攻击的时间,栗田下令按现有队形追击。06:59,“大和”号上全部9门460毫米主炮在32,000米距离上第一次对美舰开火,炮弹落在美军编队中,激起50米高的水柱。在第2次齐射后,“大和”的观测兵报告美舰起火,而据美方资料,在此前后的07:05,护航航母“白平原”号被其附近爆炸的日舰炮弹炸毁了右舷的机舱,烟囱开始冒出黑色浓烟[注3]——估计这便是日方观察到的“美舰起火”。
当时除了“大和”号以外,“金刚”和“榛名”两舰也从07:00开始炮击,但由于这2艘老式战列舰观测设备落后,测距仪基线只有10米,因此在30,000米距离上打得这么准的可能性很小。由此推测,毁伤“白平原”号的这发近失弹极有可能是“大和”主炮发射的,如果真是如此,则说明其主炮射击精度相当高。(相比之下,在英德北海海战中,双方从22,000米拉近至14,000米的8分钟里,英舰“胡德”和“威尔士亲王”号分别打了6次齐射,前者全部失的,后者击中德舰1弹,而以火炮射击精确著称的“俾斯麦”打了5次齐射,也只命中对手1~3弹。)
“大和”的炮击并没有能够有效地持续下去,为了阻止这支强大日本舰队的追击,美国人早在06:45便下令护航航母上的飞机起飞迎敌,07:16又命令驱逐舰队释放烟幕冲向日本舰队,用鱼雷攻击阻止其前进,而航母编队则驶向一片正在下暴雨的海域。烟幕和雨幕干扰了“大和”的射击,美国驱逐舰的攻击行动则给分散追击的日本舰队带来了很大的麻烦。当“大和”在08:00左右与美舰队距离拉近至22,000米时,美国驱逐舰“海尔曼”号(DD532)向其发射了3条鱼雷,迫使“大和”转向10分钟,从而使该舰与美航母的距离又拉大至30,000米。08:20,继续追击中的“大和”在烟幕中又发现1艘美舰,判断为轻巡洋舰,故迅速调动副炮对其射击。根据美方资料,该美舰实际为此前已经受伤的驱逐舰“霍埃尔”号(DD533),其在遭到“大和”射击后,于08:55沉没,死亡268人。
http://battleship.blogbus.com/logs/6473579.html
上述文字证明,大和除了开始阶段对美护航编队进行了有效射击以外,很快就在烟幕和雨幕的干扰下再也没有真正找到目标。等到在8点钟前后与美编队迫近至22公里时,再次为了躲避鱼雷转向10分钟,拉大至30,000米,直到8时20分,大和才向烟幕中突然前出到自己身前的美国驱逐舰用副炮将其重创。因此,8点10分击中“冈比亚湾”的炮弹恐怕不是大和打的。但这只是孤证,我又重新寻找日方资料,发现如下:
・6時40分前後 双方ともに発見
・6時59分 戦艦「大和」米空母と3万1000メートルの距離で砲撃開始
・7時00分 戦艦「金剛」・「榛名」砲撃開始
・7時01分 戦艦「長門」砲撃開始
・7時03分 栗田中将各戦隊に突撃命令
・7時09分 護衛空母群スコールと煙幕の中に遁走
・7時16分 スプレイグ少将。駆逐艦に突撃命令
・7時30分 重巡洋艦「鈴谷」が米駆逐艦の魚雷攻撃を受けて大破
・7時35分 戦艦「榛名」魚雷回避の転針
・7時57分 戦艦「大和」魚雷回避の転針
・8時00分 栗田中将。全軍突撃せよを命令
・8時10分 護衛空母「ガンビア・ベイ」に初の命中弾
・8時53分 重巡洋艦「筑摩」魚雷攻撃を受けて大破
・8時55分 駆逐艦「ホエール」撃沈
・9時07分 「ガンビア・ベイ」撃沈
・9時11分 栗田中将。追撃中止・北方集結を命令
・9時23分 栗田艦隊追撃中止
・10時05分 護衛空母「サミュエル・B・ロバーツ」撃沈
・10時10分 駆逐艦「ジョンストン」撃沈
戦果
護衛空母1隻撃沈 駆逐艦2隻 護衛駆逐艦1隻 撃沈
損害
重巡洋艦5隻大破
http://mp44.blog.shinobi.jp/Entry/59/
从上看出,大和确实在7点57分(8点钟前后)为了躲避鱼雷进行了转向。而在这个机动过程中,几乎没有可能击中正在前方烟幕中进行逃窜的“冈比亚湾”号。
那么,再结合我在学研社出版的太平洋战史系列《莱特湾海战》中查到的关于此战的记录
午前七時、全軍突入が下令され、各隊は勝手に針路をかえて突っ走り、みるみる隊形はみだれた。速力の遅い大和以下戦艦部隊は、どんどん追い抜かれてどん尻を走った。こうして、米側が「サマール沖海戦」と呼称する戦闘が開始された。繰り返しになるが、栗田長官以下は当初からこの米空母部隊だと認識していた。しかし本当は、輸送船などを改造した護衛空母群であり、空母六隻、駆逐艦七隻から編成されていた。米空母は、駆逐艦の展張する煙幕に隠れ、おりから降り始めていた前方のスコールの中に入りつつあった。こうなっては砲撃することができない。空母を見失った栗田艦隊は、その手前で煙幕を盛んに展張している駆逐艦砲撃も目標を変えた。
米護衛空母部隊は、栗田艦隊を視認した当初は驚愕し、狼狽もしたようであったが、その内必死の反撃に出てきた。艦載機が二機、三機と散発的ではあるが、ばらばらに隊形の乱れた各艦の上空にひらいして、爆弾を投下して機銃掃射を加えてきた。一方、濛々とたなびく煙幕の中から駆逐艦が突進してきて、魚雷攻撃を仕掛けてくる。日本軍の各艦は、一方で米機を迎え撃ち、一方では米艦隊に対する砲撃をおこなわなければならず。もっと好調であるべきはずであった。追撃戦は一頓挫したかたちとなった。艦隊司令部の顔は、一様に最初のころとはうって変わって険しくなった。そのうち、さらに栗田艦隊の戦意を削ぐような出来事が続いて起きた。スコールの中に逃げ込んだ米空母艦隊に対して大和は電探で探りながら無観測射撃を試み、前方のスコールは敵が懸命に張り続ける煙幕と交じり合って、どす黒い遮蔽幕を形成していた。その幕の中に巨砲が吸い込まれていく。
だが、手応えはえられなかった。戦艦よりも高速の重巡羽黒と鳥海は、遁走する空母を追跡して、視認距離で砲撃を加えた。命中弾多数を得たのを確認したにもかかわらず、敵艦は火災も起こさず、速力も低下せず、何事も無かったように遁走を続けた。まるで全弾が不発弾のようだ。皆の頭に、これはもしかして正規空母とは違うのではないという疑問が浮かんできた。 効果が現れないのは砲弾が爆破せずに貫通しているからではないか、改造空母かもしれない。もし借りに改造空母であれば舷側も甲板も非装甲の鉄板製なので、砲弾は命中しても爆破つせずに突き抜けてしまう。くり返すが、事実そのとおりで、このときの空母は全て改造空母であった。
そうこうしているういに、今度は旗艦大和の上にアクシデントが起きる。右舷六〇〇〇メートルの近距離に迫った一隻の米駆逐艦を発見した大和は、副砲を持って砲撃を開始したとき、右舷方向から六本の魚雷が向かってくるのを発見した。「取舵」が令されて、大和は左に天舵した。東進していた大和がほぼ左九〇度に向首したとき、雷跡はなぜか緩やかな速度で近づき、右に四本左に二本の魚雷にはさまれてしまったのである。以後大和は、右にも左にも回頭することがきず、二六ノットの速力で左右に魚雷をしたがえたまま並走するという珍事となった。
しかも、敵は南に向かって遁走中であるのに、これを追撃する艦隊の旗艦が逆の方向に走るという無様なことになった。魚雷が駛走力をおのずと失って沈むまで一緒に走ったのであった。大和は結局この北進によって約二〇分間を浪費したことにになり、往復の距離約五浬を無駄に走ることになった。このため反転したときは、戦艦隊は後方に取り残され、追激戦を続行先頭の重巡部隊は水平線の彼方に消えて、見えなくなっていた。このとき以来、大和は敵空母に群に接触する望みがなくなったばかりでなく、戦況を正確に把握することができなくなっていた。
http://sidenkai21.cocot.jp/m33.html
我把上述这段记述的重点翻译出来的话就是:
1.大和在首次开火后不久,就因为烟雾,失去了原先的美航母编队目标,不得已转而开始攻击施放烟幕的美驱逐舰。
2.在追加战中,大和、长门等舰被快战、重巡甩在了后头,真正在追加战中反复取得命中弹的是羽黑、鸟海等舰。此时,大和只能用自己的电探对烟幕、雨幕中的敌人进行无观测设计。
3.大和号在战斗中突然发现一艘美舰自己右舷6000米中出现,急忙用155毫米副炮进行射击。但很快在右舷发现6枚鱼雷从右舷接近,不得已再次急转舵向北闪避。结果,在美军慢速鱼雷的追击下,大和被左右舷各一枚鱼雷夹着,以26节的航速向北来回跑了5海里,浪费了20多分钟。
4.等到大和重新回到战场,才发现自己的舰队已经走远了,战斗情况不明,不得已下达了舰队重新集结的命令。
最后,综合上述资料,萨马尔海战大和的行动似乎是:
6点45左右 发现敌舰
6点55左右 下达攻击命令
6点59分~7点09分 大和在31公里距离上开始了射击,并近失弹损伤“白平原”号航母
7点10分左右 大和失去目标,开始重新瞄准
7点15~7点57分 大和在追击中落在了金刚、鸟海、羽黑等舰的后面,使用雷达对敌人进行着无观测射击
8点前 大和再次逼近美编队至22公里处,但因为躲避鱼雷开始了10分钟转向,并
把与美航母编队的距离再次拉大至30公里左右。
8点10分 冈比亚湾号首次中弹(此时,大和正在为躲避鱼雷越走越远的过程中)
8点20分 大和在继续追击中突然发现右舷6000米处的烟雾中冲出一条美舰。使用副炮将其重创。
8点30分左右 大和被左右舷两枚鱼雷“护送”,向北高速行驶,逐渐远离战场。
9点左右 大和重新回到战场的后方
9点07分 冈比亚湾号沉没
9点11分 大和发出舰队重新集结的指令
可见,8点10分那次命中冈比亚湾号的射击到底是不是大和打得呢?恐怕不是。应该是冲在前面的金刚或是重巡。
另外,我偶然间又找到了一个证据,日本人重拍《男人的大和》时,发现:
そして、レイテ海戦のハイライト、戦艦大和を含む日本艦隊が米空母部隊を攻撃し、空母「ガンビアベイ」を撃沈したときの戦いが削除されていた。この空母は、逃げながら雷撃機を発進させては大和のほうへ魚雷を放ってきたり、護衛の米駆逐艦も頑張ったため、実は日本艦隊はうまく追撃ができなかった。このシーンなんて、大和の主砲もガンガン発砲するわけだしおもしろいと思うんだが、なぜか完全削除されていた。
で、現実には、大和の砲弾はほとんど命中せず、他の戦艦や重巡洋艦の砲弾が戦果を上げたらしいんだけど、それは戦後に明らかになることなので、映画の中では、大和乗員が歓喜に満ちていてもいいだろう。
http://www.higashi-nagasaki.com/d_r/dr2005_010.html
(在电影《男人的大和》之中,原来描写莱特湾海战的高潮部分消失了。对于这样一段460毫米主炮“磅磅”射击的镜头为何会被删减,主要原因是战后判明,在实际的海战中,大和的主炮弹几乎无一命中,战果均是由其他战舰、重巡取得的。但是,对于电影中不知真相的大和乘员命中敌舰后欢喜异常的景象也没有错吧。)
结论:我所找到的所有日文资料中几乎都没有提到大和主炮命中过敌舰,甚至连那次近失弹也没有提及。我觉得,这恰恰从一个侧面反映出日人的不自信和困惑。
毫无疑问,大和号击中冈比亚湾的唯一机会就是8:10分的那次。那么大和是否能在转向机动中,透过浓烟、雨幕击中近30公里以外的目标,那只好仁者见仁,智者见智了。
[ 本帖最后由 ViveI'empereur 于 2008-2-22 12:52 编辑 ] |
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